まっしろな嘘

ニンゲンを勉強中のヤヤネヒによる、なんかいろいろ。

性行為の基礎知識(1) 学校で教えてくれない、性行為についてのこと

やるかやらないかは兎も角、とりあえず知っとく、って大事だと思うんだ。

本稿はいわば『前書き』なので、具体的な内容だけ知りたい人は読み飛ばして(2)からどうぞ。

yaya.hatenablog.com

本題に入る前に。

世間の皆様は「それ」に及ぶとき、いったいどうやってるのか。

学校でちゃんと教わった記憶がない。

性器の構造図は見たと思う。でも「どうやって扱うものなのか」知らない。

避妊方法も、確か保健体育の教科書に載ってた。でも、使い方を知らない。

僕らはファンタジーポルノで育った

周知の通り、日本はファンタジーポルノ大国である このエントリは、その事実を批判するものではない。

私は親の本を片っ端から読んでしまう子供で、そういう方面では早熟だったので、小学4年生で『失楽園』を読み、リンダ・ハワードのタイムスリップ物のヒストリカルハーレクインを読み、ドリキャス美少女ゲーム記事で「河原崎家の人々」やら「慟哭、そして…」やらに憧れを抱き(同時期に2ちゃんねるライトノベル板の雑談から田中ロミオ奈須きのこを知り)、高校卒業してエロゲを嗜みはじめるや否や同人文化に肩まで浸かる、気付いたらお世話になっている知人にエロゲ業界の人がやたら多い、という感じで生きてきた。

セックスファンタジーに抵抗はない。むしろ、私にとっては大切な遊び場だった。

しかし、齢106歳も過ぎて何の間違いか恋人ができてしまって愕然としたのである。

「どうやればいいの?」

リアルなセックスって何だろう

セクシャルな文化にあれだけ触れて育ったのに、やり方なんて知らない。

そんな自分に気付いてしまった。

恋人氏は「コンドームは物理的にシャットアウトするものなんだから大丈夫」っていう。大丈夫? ほんとうに?

既に前記事で扱ったけれど、『妊娠』というのは、女性の身体にとって、そしてパートナー同士の人生において重大なリスクだ。『妊娠のタイミングを間違えたら人生が終わる』。なんつっても子供が生まれたら年間150万円の支出。2年間は掛かりきり。下手を打てば貧困まっしぐらなタイトなゲームだ。無計画な妊娠は人生を狂わせる。

そして気付く。

萌え系エロマンガに出てくる女の子は、すぐに「生でいいよ」とか「中はダメ、妊娠しちゃう」って言う。えろ系のまとめブログのバズワードは「中〇し」。恋人同士ならノーハードルでラブラブ子作りセックス(将来の話なぞしない)、強姦モノは大体が中出し。ライトな萌えエロ漫画ものほどコンドームは使わない。コンドームは上級者向け。

登場人物は高校生。子供ができちゃって大丈夫なの??育てられる???

CLANNADのAfter Storyなんて、高校生で妊娠出産をさせた妻が死に、死んだ妻の親元で暮らすことになった青年の話だ。CLANNADは人生。やだ世知辛い。

「女の子がすぐ喘ぐ」とか「痛がらない」とか、まぁそういうあたりが『非現実的』と指摘されてるところはよく見るし、それはそれで納得していたのだけれど、気になり始めると、別の部分でもファンタジーに溢れているというか、むしろ、快楽の真髄としてのファンタジー以外のありとあらゆる全てがそぎ落とされているわけで。

気になり始めたらキリがなかった。大丈夫なの? と。

まあ、それはいい。それはいいんです。

参考にできるわけないだろ!

非現実的で、セクシャルな情報は溢れていて、欲望の対象としての身体はメディア上に氾濫している。

このことに、私は反対する立場ではない。

私は性嗜好上、客体としての女性がわりとものすごく好きだ。あらゆるファンタジーは、人間の現実と理想のコンフリクトを緩衝し、人生の質を上げる。ファンタジーポルノも然り。そして、ファンタジーはファンタジーであるからこそ、膨大なコストを要求される人間との性交とは異なり、手軽に『使える』。空想上のポルノは、人がひとりで自らの「性」と向きあうための貴重なリソースでもあると思う。数多のセクシャルなファンタジーに触れて育ったけれど、それでも、私は魔法使いと呼ばれる年齢までひとりで大きくなったわけで、個人の性行動に悪影響があるとは思えない。

ファンタジーポルノのない社会は、ひどく息苦しいのではないかと思う。

でも、それとは別に。

わたしたちは、自分たちの性が現実に於いて葛藤を生まないように、楽しんで、でもセーフティに性交に携わるための段取りを学ぶ機会を皆目与えられていない。

青少年健全育成条例、出版業軽減税率etc……表現規制と「表現の自由」の問題が取りざたされるようになってしばし、一方で、どうもこの世間のフェミニストの皆様は若年者への性教育は、『性の放埓を招く』として白眼視される(そんなことはない、と私は胸を張って言う)。

少子化だ高齢化だ、結婚しろ子供を作れ、性交渉の機会がない男/女は欠陥品だといわれ続けるのに、実際のセックスに際して、文明社会の住人として何をやったらいいのか、ということを知る手段がない、って酷い話だと思う。

どうしたら傷つけあわないで済むのか、ということ

ドヴォーキン先生の論説を全て否定することもないけれど、ただ一つ、「全ての性行為は暴行である」という言及には否を唱えたい。 生殖活動であり、娯楽でもある。他者と物理的に深い場所で接続される(ある人は『接続されるどころか現象としてはマイナスだとか言っていたけれど)行為を受け入れる、そこに伴うリスクを承諾する。パートナーシップも性交も、本質としては、通常のコミュニケーションの延長線上に存在している。

ただ知ってる、って大事だと思う。

「欲望を発散する行為としての性行為」と「生殖」、この二つが地続きである事実を、おそらく女性は嫌でも理解している。一方、その「深刻さ」を知る機会が少ない人もいる。従来、この社会で、「子供」と「家庭」は女のものだったから。 ある種の女性が何故、性的欲望を向けられることに怯えるのか。セーフティでない性交は女性の心身の健康を著しく損なう可能性があり、当然の帰結として、「子供を孕む」ことで、女性は重大な社会的・健康的リスクを背負うからです。 多くの女性、そしてリスクの重さを認識できてしまった男性において、「傷つかない」「極力リスクを回避する」手段から遠ざけられているために、現実の性交、あるいは、次世代生産をめぐるあらゆる事象が忌避の対象となるケースも多いように感じる。

男性も女性も、傷つかない傷つけないやり方、というのを、知る機会が限りなく少ない。 自分と相手の事情を無視して強引に及べば、互いが深く傷つく可能性がある。性行為というのはそういうもの。 けれど、正しくリスク回避できたら、「それ」は「ただのコミュニケーション」になる。 そういう風に、ニュートラルに捉えるために、何よりも私たちには「知識」が必要なのでは?

ということで、この記事です。

個人的に調べて・把握した範囲で、「知っておくと宜しげなこと」をまとめてみました。

主として異性間の行為(特に避妊とリスク回避)について解説していますが、多種多様な性愛の形態を排斥する意図はありません。ぶっちゃけ、ムリして子供を作る必要も、恋愛する必要もないと思う。けれど、生殖機能は紛れもない我々の身体の一部であり、人生観を形作るものです。それを忌避する、「穢れ」のように扱う、というのが果たして幸福な社会なのか、という疑問は常にあります。

また、性嗜好が現実の他者に向かない人々を排斥するものではありません。ただ、そういった人々も、社会的な理由から、異性とのパートナーシップを選択する可能性はありますし、異性が好きなひともそうでもない人も、「生殖」が重大なトピックであるこの社会で生きることだけは避けられないわけで、「そういうものなのか」と、フラットに現実と向き合うために活用頂けたら幸いです。

ではどうぞ。