どうして、リプロダクティブ・ヘルス・ライツより『AV』を強調するの。 せくしゃるな表現を、表現にかかわる人を、悪者にしなきゃダメなの。
『AVの教科書化に物申す』と『教科書化されるAVに物申す』はぜんぜんちがう!!
これはおかしいと思ったので、おいそぎ記事をかきます。
ニンゲンのセクシャリテイと表現の話です。
記事のタイトルが、出演者さんにも、企画した学生さんにも失礼だと思う
ここ数回、AVのことをはなしていますが、ヤヤネヒ、実はほとんど見ないんですよね。 生きたニンゲンのセックスを娯楽としてみるのはけっこう難しいので。「プレイ」としての表現を、「うまく見せてるなー」という感じで観察するほうが好きです。なんだか真顔になっちゃう?
そして、出演者さんや監督さんがお話する、現場の話、人間の欲望の話が面白いから、そいった情報を食べていることが多いです。前回書いてた、紗倉まな先生の小説とか、Twitterとか。二村ヒトシ先生の著書とか。作品のほうは作品一覧……とか眺めてることのほうが多い。
撮影現場の倫理が問われた「女犯2」事件、バッキーエンターテイメント事件、出演強要事件などありましたが、制作現場で人権侵害が起きていたなら、それは公に、しかるべき処断をされるべきだと思います。とはいえ、総体としてのアダルトビデオというのは『表現』です。一人称VR作品では男性向けなら女性の、女性向けなら男性のアクターさん『だけ』で成り立ってしまう時代に移行しつつある、というコトについては、前回記事で触れました。
AVの出演強要が一時期盛んに話題になりましたが、人身売買的な被雇用者の労働環境がまかり通っているのは、アダルトビデオ業界固有の問題というより、日本の芸能プロダクション全体の問題が大きいように感じます。そこから、「AV」、性表現=人権侵害、といった書き方は、表現の影響力を配慮しても、話が飛躍しすぎています。
『AVの教科書化に物申す』だと性教育の問題、『教科書化されるAVに物申す』だと表現の問題
記者さんの言葉の使い方が、あまりにもいい加減だと思います。記事内にはこのようにあります。
性の知識がない。セックスってどうやって覚えるのかもわからない。
これはわかります。大きな問題です。この社会のニンゲンは、「現実の生殖の手段や、危険性」を学ぶ機会がありません。あとで触れます。
相談する先もない。簡単にアクセスできるアダルトビデオ(AV)から、"性の知識"を得たつもりになる。間違ったセックス観を押し付け、パートナーを傷つける。コミュニケーションはどんどんすれ違い、性に対するタブー感だけが募っていく。
「誰が」押し付け、「誰が」パートナーを傷つけるのでしょうか? 文脈的には「男性」でしょうが、ここを曖昧にしたのはなぜでしょうか。
女性は望まない妊娠をする。人工妊娠中絶(中絶)をする人が、年間で16万4621人。実に、1日に450人以上が中絶している。こんな世の中でいいんだろうか。
ここでいきなり話が飛びます。女性の妊娠中絶の原因がアダルトビデオ=表現だと言わんばかりです。
疑問を持った大学生たちが11月4日、東京都八王子市の中央大学で、AVの出演者らで語り合うイベント「AVの教科書化に物申す」を開いた。産婦人科医の遠見才希子さんによる、性の誤解を解くコーナーも用意された。
記事タイトルと、イベント名が変えられています。『AVの教科書化に物申す』だと性教育の問題、『教科書化されるAVに物申す』だと表現の問題です。ライターさんはこの大きな違いに気づかなかったのでしょうか。記事を読んでいくと、アダルトビデオの人気俳優さんたちが、リアルなセックスについて、「AV」を入口に、AVはフィクションだよ、エンターテイメント表現だよ、と前置いたうえで、「鵜呑みにせず、お互いを傷つけない性知識を身に着けて欲しい」と訴えています。
これは、AVが性的な興味の入り口になりやすい点を踏まえた、とてもいいアプローチだと思います。企画した学生さんも、出演したパネラーさんたちもえらい。それを、いいかげんな記事が台無しにしている。
問題ある性教育、その中で『表現の責任』を背負おうとするAV製作者さんたち
ワカモノから、性教育を取り上げようとする人たち
直近で、こういった事件がありました。
https://blogos.com/article/297946/blogos.com
「足立区の公立中学校が行った3年生向けの性教育で、「避妊」「性交」など、学習指導要領には示されていない文言が盛り込まれていたことから、自民党の古賀俊昭都議会議員が「不適切な指導がこの中学校で行われているのではないかと思う」と発言。都教委もこれを問題視、区教委を指導した」。
逆に、今回のパネラーさんたちの姿勢には、「寝た子を起こしてしまった責任を、背負おう」という、製作者さんたちの強い意志を感じます。これはすごく前向きなアプローチだと思う。ニンゲンとして生きていく上で、知ってしまったら戻れない、そして、ニンゲンは10代の半ばにはオス・メス共に、じぶんの「からだ」のセクシャリティと対面せざるを得ないのですから。おとなが「寝た子を起こす」ことを鬱陶しがったところで、「からだ」の現実とすれ違い、個々人の不安は募るばかりなのが現実だと思います。
「間違ったセックス観を押し付け、パートナーを傷つける。コミュニケーションはどんどんすれ違い、性に対するタブー感だけが募っていく」――最大の原因は、性表現そのものではなく、「おとな自身が、自分たちのからだのことをタブー視し、それをこどもに押し付ける」風潮ではないでしょうか。その点については、記事内でも触れられているのに、何故、ライターさんは、こんないいかげんなタイトルをつけてしまったのでしょうか。
『地に足のついた性表現』ってなぁに?
ライターさんのTwitterを確認したのですが、フンワリとした意見の羅列でえええ、となりました……
一方で、女性を性的なアイコンとして強調するエロ、「女の子はお馬鹿で男性の説明に相槌を打つだけの存在」みたいなキャラもうーん?って思う。てかAVとかも頭おかしいステレオタイプな作りが散見されるけどさ、そういうのじゃない地に足付いたエロなら別にいいんじゃない
— 田中 志乃/ハフポスト (@SHINO_HUFF) 2018年10月31日
「地に足のつかないAV(性表現)はいけない」この結論ありきで記事を書いたのでしょうか。確かに、そういった考えであったなら、記事タイトルでのイベント名のすり替えは自然です。でも、これは報道の姿勢ではありませんし、くりかえしになりますが、イベントを企画した学生さんにも、出演者さんにも失礼です。男性のおたくの人の意図について思いを馳せられるのは結構なことですが(ヤヤネヒ的にはどうでもいいけど…)、記事の導入において、「不快な表現を『批判』したい」欲望が先走り過ぎているように思います。*1
って考えてすんごく頭のなかがモヤモヤする。。。東京ゲームショウのコンパニオン問題とかね。ついでに言えばBのLだって、見る人が見たら不快で誰かを傷つけるのかも、BのLの描き方もいろいろ考える。という秋葉原の片隅のつぶやき。
— 田中 志乃/ハフポスト (@SHINO_HUFF) 2018年10月31日
その視点だと、当たり前ですが、ダメな人にとってはボーイズラブもだめです。「性的なアイコン」です。これまで、保守的な人たちの目につかなかったせいで、業界規制が甘いままになっていたBLが、今、有害図書指定で狙い撃ちされてることを、このライターさんは知らないのかもしれません。東京都青少年健全育成審議会でのボーイズラブの危機的状況はここ二年ほど話題になっています。
イオン系列の書店・コンビニから成人向け書籍が撤去された件も昨年話題になりましたが、BLだけ免罪なんてことはなく、あたりまえに「不健全」として撤去されました。*2
性表現のゾーニングについては、今、一定の取り決めが行われたうえで、自粛か、規制か、ずっと水際で線引きの攻防が行われています。
「AVの教科書化に物申す!」企画は、性表現の影響力の大きさを逆手にとって、表現サイドから性教育の必要性を訴えていこうという、とても……野心的? かつ、せっくすのことに不安を感じる学生さんの子たちの啓発効果が見込める企画であったように思います。 *3
報道して下さった点については、ヤヤネヒ、大きく評価したい。
けれど、「性教育」から「性表現」へと、問題の焦点を中途半端にずらしたこと、性表現を行うサイドからの性教育へのアプローチという、非常に重要なポイントをスポイルしたことで、台無しです。記事の誘導性、恣意性は、記者さん個人の資質の問題というより、ハフィントンポストさんの「女性記事」の扱い方全般について、風土的な事情が大きいのかな、と推測しますが、……やっぱりダメです。
若者から性表現を取り上げようとしたら、当然、性教育も取り上げることになります。「寝た子を起こすな」です。
『教育ではなく、一緒に考える』入口が、『地に足のつかない』表現でもいい
だって、何だって誰だって、他人への興味の入り口は「幻想」じゃないですか。そうじゃなきゃ興味は持たない。生々しい自分のからだのことなんてニンゲンは知りたがらない。セクシャリティの向く対象に夢を見て、コミュニケーションの過程で現実を知って、うまいやりかたを覚えていくんじゃないかとおもいます。確かに、そこで「表現サイドから」働きかけられること、というのはある。そういう意味で、繰り返しになりますが、とても有意義なイベント、有意義な報道だったと思います。
先日、神が出版労連の表現規制問題についてのお話を聞きに行ったとき、質問の時間に、「私は娘がいる親だから、娘に見せたくない表現は野放しにしたくない。女性差別表現は許されてはいけない」と演説していった活動家さんがいたんですね。そのあと、こっそり、ある作家の先生とお話する機会があって、仰っていました。「『女性のため』じゃなくて、『自分がイヤ』だよね。……あの人に、私の作品を全部見て欲しい。これはどうですか? これは? って全部チェックしてもらって、それでもダメなのか聞きたい」
こどもに『寝た子』のままでいて欲しい、というのはおとなのエゴだ。
たとえば、女性が男性のからだに興味を持つのがBLがきっかけでも全然いいし、男性が女性のからだに興味を持つのがそういうメディアでもいいと思う。幻想の中で好き勝手する分には、だれも傷つけないもの。でも、じゃあ、「傷つく」相手とコミュニケーションするときは? お作法を知っていたほうがいい。ヒトを傷つけて幸せになれるニンゲンはいません。そう思ってるニンゲンがいたら、それはまちがいだし、気のせいです。
『合意』の問題
『断る』勇気について
イベント内では、リプロダクティブ・ヘルス・ライツへの意識啓発に加えて、合意の問題、女の子に向けて、意思表示の重要性も強調されています。
紗倉まな先生。
「伝えにくいけど、女性も『これは嫌だ』と言えるように、自分から伝えられる勇気や心構えをちゃんと持てることに意味があると思う」
もう一つ。
「相手がどう思っているか、自分がどう思っているかは言わなきゃ伝わらない。AVが背徳感を煽るものだったり、抗われてるのに『イヤよイヤよも好きのうちでしょ』みたいに変な錯覚を覚えるものとして扱われていたら、女性側はつらい。本当はそうじゃない。(どう伝えるか)これもコミュニケーションな気がする」
これはすごく大事なことです。
これも「性表現のせい」にしてしまうと曖昧になってしまう部分だと思う
一般に、ニンゲンは、自分のジェンダーに対して供給された性表現を食べるものですので、ダンセイとジョセイで認識が食い違うのは自然な帰結だと思います。強制を伴うのは論外ですが、悪意がなくてもすれちがってしまうことは多い。だからこそちゃんと意思表示して、話し合う姿勢を持ち続けなきゃいけない。しかし、しみけん先生の「つけないやつとは別れろ。吹かせようとするやつは連絡を断て」は一定の真理だと思いました。言い方だけ見ると、なんだかキュートですけど。
さいご
…ところで、少し前にこういうイベントもあったみたいで、 lawcus先生のTLで知ったのですが。
https://twitter.com/lawkus/status/1057028457081712640 確かに。『隠す』弊害だなあ、とヤヤネヒ考えたりした。見えてたら派手な演出要らないよね。逆に「派手に見せられるなら、行為はいらない」というのが、まさに前回扱った、一人称AVの撮影手法だし。
あと、女の子は終わったらトイレ行こうね!なるべくね!(ちょうど記事内で産婦人医の宋先生が言っていたので。膀胱炎はつらいぞ!!あと、忙しいからってトイレを我慢するのはダメです!!)
そして、「性表現をとっかかりにリプロダクティブ・ヘルス・ライツの啓発を行う」というのはやっぱりとても有効なアプローチだと思うし、個々人を大切にするリプロダクティブ・ヘルス・ライツの啓発と、想像上の性表現をつくる、消費する行為は、対抗するものではないと思います。そのような「話の持って行き方」には、ヤヤネヒつよく反対です。
繰り返しますが、このポジティブな結びつきを提示した点で、すごく有意義なイベントだと感じました。これも繰り返しですけど、当該イベントを報道してくださった点も非常に野心的でした。でも、と思ってしまうのです。なぜ、『リプロダクティブ・ヘルス・ライツ』と『合意』ではなく、「AV出演・制作者が、AV(という媒体)に物申している」ような、失礼で歪な報道のしかたをしてしまったのか、あるいはそうせざるを得なかったのか、と。*4*5
*1:男性も女性も『性的なアイコン』になりうるんだからいちいち取り下げ願ってたらキリがないと思うのですが、今回の本題ではないのでコメントアウト
*2:これ、Amazonが使えたり、おっきい本屋さんにスっと行ける大きい街の人には大した問題じゃないけど、それができない中高生には一大事だよねって思う…
*3:しかししみけんさんと一徹さんのやりとりとか超おもしろいですね。ちょっと笑ってしまう
*4:だいたいへんな話で、企画者であるコンピュータ園田氏も出てるんですよね。「あるものはフィクションとして受け止めてくれ」という話で、業界批判でもないのに
*5:アバターのTLで『本番演出』の話が出たのですが、現在の正規流通品では本番NGだから全部「それっぽく見せてるだけ」だそうで。……だから、出演者系のイベントでソッチのほうが話題になってるのですねー、納得……って、これも知らないとわかんないし、何となく信じちゃうよねってヤヤネヒ思いました