まっしろな嘘

ニンゲンを勉強中のヤヤネヒによる、なんかいろいろ。

前エントリ(ダラナ・バーク先生の提言の翻訳)からのコメントアウト

前エントリは読まれよ。これは読まなくていい。

www.masshirona.red

記事内で、私観に触れるのはちょっとにしておきかったので、エントリを分けた。長くなるし…

あと「バーク」先生でした。毎回毎回な!!!!!神な!!!!!

MeToo運動の熱狂に対して思ってたこと

日本で行われる性的暴行、そして虐待のほとんどは、統計上、家族や親族、次いで教師などの、親密圏であるはずの空間の内部で行われています。それが、「MeToo=男性全体への批難」、社会的地位の高い女性の「告発」と、集団人権的な思想に回収されることで、逆に「今ここで」暴力や虐待の被害に晒されている人々の問題解決を遠ざけていないか。そういった危惧がありました。しかし、提唱者であるダラナ・バーグ先生の理念として「性暴力は(ジェンダーレスな)、権力と構造の問題である」という視座が表明されたことで、この危惧はいくらか解体されました。混沌とする今の世界で、そして日本での性暴力、および虐待被害者支援の現場で、生き残っていくことを切に願いたい(二回書いてしまったけど、ほんとうに大切にされて欲しい)。

錯綜する被害者/加害者性

MeTooムーヴメントは、暴力の問題において、被害者が・加害者でもあるという状況がしばしば起こることに対して、どのような解を用意しているのだろうか?」という疑問を、うっすらと抱えていました。あと、最近話題になってたけど、「加害者と被害者が告発-被告発の関係において転倒した形で表明されてしまう」、告発に事実ではない内容が含まれるケースも起こりうるわけです。

暴力は連鎖する。これに抗うのは非常に難しいことです。というか、満員電車の中では、誰かの足を踏んだ誰かが誰かの足を踏んでいる、ということはよくあって、すかすかの電車の中で、態々誰かの脚を踏みに行くような人であっても、また、何らかの「踏みつけられた経験」を持っていたりはするわけです。人の足を、一度も踏むことなく生きられるのは、ものすごく、幸福な人間だけなのだと思います。

児童虐待が、環境と愛着形成、複数の理由から世代間で連鎖しやすい、ということは、一般に知られています。 不都合な事実ですが、被害者/加害者の問題を扱うとき、両者の錯綜は、確率的に、回避できない問題であるはずです。

ここで強調したいのは、ヤヤネヒは、虐待経験を持つ、告発したい人の全てが自省しなくてはならない、と言いたいわけではないということです。

『寄り添い』と『事実の重要性』

めっちゃタイムリーだったので引用ごと引用させていただきました。

個人的体験と、社会運動は位相が異なります。例えば重い心傷、あるいは複雑化した精神疾患を持つ人の内面において、被害体験が書き換えられて、「暴発」したとしても、配慮をもって受け止める姿勢は必要だと思う。 でも、少なくともセクハラ・モラハラが一定の重要性をもって受け止められるようになった現在、事実と異なる告発によって、対象者が受ける被害は軽視できません。もっとひどい場合、加害する側が「被害者の非」をあげつらうケースっていうのも起こりえるわけです。一部のパーソナリティ障害を抱えるひとは、加害行為に際して、平然と「自分は被害者の側である」と主張します(アバターがストーカー被害、面会強要、犯罪示唆、中傷というフルセットで被害を受けたのをヤヤネヒ見たことあるので、一般的な感覚だと理解しづらい事態が「起こりうる」、そういう人間が存在するということだけは言える)。

「配慮」と、事実性の取り扱いへの慎重さは両立される必要があると考えます。 *1

また、あめりかの女優さんの事件にあったように、加害者性と被害者性を併せ持つ人は、確実に、一定数、存在します。

事実を軽視し、そういった、加害・被害の両義性を強く有する人の、片方の(多くの場合、男性の被害性、女性の加害性という)性質を排斥すれば、MeTooは、『被害者』の無辜性を維持するために、被害者/加害者を選別する『魔女狩り』に変質せざるを得ない。

そして、アーシア・アルジェント氏の事件が告発された際や反応や、ド・ヌーヴ氏をはじめとする、MeToo運動の熱狂を批判した、フランスの100名の女性がバッシングを受けた際、現実にそうなりかけているのではないか、との印象を強くしていました。それに対してあの提言はすごい。「ミミズの缶詰をこじ開けるような」って表現、わかりみすぎて感動してる。被害者に模範性を求めてはならない。けれど、加害者になるために生まれた人もいない。本当にその通りです。本当にその通りだから、この世界はつらい。

めっちゃ言いたい

なんでもかんでも、異論反論をフェミニズム『攻撃』とか『女性への言論封殺』扱いするのやめれーーーー!!!!

お怒り。

謝辞

対して、バーク氏は、一連の疑問に、非常にシンプルに、かつ力強く応答してくださっていました。すごいことだと思います。 加えて、この機会にMe Tooムーヴメントの「はじまり」と「理念」を改めて紹介する、というアクションを選択された、江口先生に感謝と敬意を表明します。

*1:余談ですが、配慮っていうのは『なんでも黙って聞いてあげる』ことではなく、事実確認をきっちり行った上で、必要な支援に繋ぐことだとヤヤネヒ思ってる、悪いことには悪いって言わなきゃいけない