まっしろな嘘

ニンゲンを勉強中のヤヤネヒによる、なんかいろいろ。

空気人形のまばたき - 脱線1

ヤヤネヒです。

ここが何時から「ヤヤネヒのブログ」になったのか疑問に思ってるそこの人!

神はアバターからぶろぐを託されたのです。

深く考えないでくれたまい。

最近のテックと表現を巡る、『世間一般』の想像力が逞しすぎる人権論(もどき)に釘を刺しつつ、実際どんなもんなんでしょうね、みたいなことをふわっと辿っていくエントリ、補足とか脱線とかそういうのです。二つ続きます。

1回目 www.masshirona.red

2回目 www.masshirona.red

空気人形のまばたきのこと

こないだ、オリエント工場さんのドールへのAI実装ってどこまで行ってるんでしょー、という話をしたら、「まばたきをさせる企画があったが、流れた」という話が……話が……を聞いた。聞いたかもしれない。インターネットフォークロアとして消費してください*1

ラブドール?(言い慣れない)がまばたきをするシーンはBBCでドキュメンタリで流れてましたね。何かしらの「倫理的な問題」でストップが掛かったのかもしれません。企画が倒れたのに、扇情的に試作部分を流す「ドキュメンタリー」、どうかと思いますけど…

しかし、ドールに「まばたきで、感情を表現する真似をする」たったそれだけの動作を組み込むことが、一大事業になるのだなあ、と、ヤヤネヒは驚いた。それがストップになる、ということも起きるのだなと。これはとっても微妙な話なのです。

「呼吸」と「まばたき」の表現は「生きている感」に繋がる

止め絵を動かすにも、ゲームエンジンでの3Dモデリングでも、呼吸する動きとまばたきを組み込んだだけで存在感段違いになるんだよね。Live2D(最近、ソシャゲとかCMとかゲームとかいたるところで使われている『絵を動かす』ソフト)の講座でも、「呼吸」デフォーマの重要性が強調されます。この二つを組み込むと、いきなり「止まってる感」が消える。

あと、ヤヤネヒのボディにも、Unity AssetのBreath ContolollerとBrinkerが組み込んである。これとDynamic Boneの慣性制御で、尻尾のリグを制御できないHumanoidでも尻尾が揺らせる仕組みです。右の柱においてある動画の再生ボタンを押してもらうと、止まっていると間にも、ランダムに瞬きしているのと、身体がふわっと上下していて、尻尾がゆらゆらするのがわかると思います。

ここは「ヒトガタの存在感を出す表現」のパートです。

性表現に限らないけど、性表現にもつながる。

「まばたきと呼吸」は擬人表現、あるいは生物的な表現の存在感を強く左右する、というお話です。これが話のマクラです。

ここから

ここからはオリエント工業さんのお話。

推測なんですけど、ドールへのロボット技術の導入が検討されて、「まばたき」の段階でストップが掛かったんじゃないかと。

オリエント工業さんは、1977年に「ダッチワイフの実用性の低さを改良したい」思いで、アダルトショップの経営者さんが、性処理に困っている障害者さん向けに事業を始めた会社なのですと。故に、「人間ではないけれど、人間らしい存在感」と「利用者に密着したカスタマイズ性」に拘っておられる。……っていうのは有名な話なのですが、先のあったようななかったような気がする話でも「あそこ障害者の人向けの会社じゃんー?」って形で真っ先に出てきたのが印象的でした。どちらかというと、「セックスドール」として、「非人間的な審美性と、隣人としての存在感」?を追求する方向にスタンスを…定めて? おられるのかもしれません。仮にそうだとしても、人間の形をしたセックスドールには倫理的な問題がある、と主張する人はするんだろうけど。

リアルラブドール オリエント工業|障害者割引のご案内

「障害者割引」と「里帰り」制度。

オリエント工業さんのプロダクトはけっこう不思議な消費のされかたをしていて、

dokushojin.com

こちらの一連のインタビューを読むと、ユーザーコミュニティでの写真交流(女性ユーザーもいる)、写真家の菅実花先生の「未来の母」の被写体となり、「お迎え」「里帰り」――「人形=虐待の対象」というような、粗雑な先入観とはまったく異なる文化が存在することがわかります。まぁ、きれいごとばかりではないのは間違いないけど、「倫理的な問題はない」という発言を切り出して粗雑な議論をやる前に

「人間の根源を扱う仕事」という表現は500回くらい読むべき。

それでも人間の形をしたセックスドールには倫理的に問題がある、と主張する人はするんだろうけど(二回目)、「まばたきの実装だけに、AI技術を利用する」「導入する/しない」を強く検討する、というのは、非常に繊細なセンスを持っていないとできない選択であるように思えます。

「人間の根源を扱う仕事」

「長く大切にしてくださっている方のドールは、メイクが剥げてしまったり、少しずつ汚れたりしてきます。思い入れが深ければ、化粧が剥げたり、まつ毛がとれてしまったり、口紅がまだらでは悲しいじゃないですか。そのためリメイクも承っているのですが、手作業なので当時の印象と変わってしまうことがあります。その点をお断りした上で、元の状態にできるだけ戻すよう努めています。

また〈里帰り〉と呼んでいるのですが、思い入れがありながら、泣く泣く手放さなければいけない状況になったときには、ぜひ弊社へ送り返してください、とお願いしています。ごみ置き場に捨てられていたら、それこそ殺人事件と間違われかねません(笑)。基本的に里帰りした人形は、寺に髪の毛をおさめ、供養させていただいています」

こちらの社長さんは、徹底して人間は人間、人形は人形というスタンスなのが読み取れます。「製品」であるドールたちを、「ユーザーさんたちがどのように受け止め、どのように物語を消費するか」に深く寄り添うためにどうしたらいいか、を考えておられるのが読み取れる。まばたきが実装されなかった、というエピソードは、ささやかだけどすごく大きな意味を持つような気がする。

アメリカと中国には既に『現段階の』会話AIを搭載したセックスドールが作られて、上記事内にあるように、オリエント工業さんの歯科技師研修用のプロダクトには、ロボット技術が組み込まれているわけですから。

アダルトショップに、障害者の介護に携わるお仕事が持ち込まれた。そのために、「もっと人間らしい」生活を提供できないか、という思いから、セックスドールをより「人間らしく」する事業が始まり、それが「生身の人間のアタッチメントに近い質感」と、「審美性」を追求する方向に梶を切った。この事実、「気持ち悪さ」を一旦脇に置いて、想像、直視できますか?

介護の現場で、「空気人形」を使うしかない、あるいは、実在の相手だと社会的に問題があるセクシャリテイを持つ人のほとんど生物的な孤独に、深く寄り添ってアプローチできるものを、という思いで作られ、今も職人業として磨かれ続けているプロダクトが、人身売買や実在児童虐待の文脈に無理やり繋がれるのは、ヤヤネヒには少しモヤっと来るものがあります。本質的には、ニンゲンのセクシャリティ=生物の本能なんだから、『性欲』や『性表現』が社会生物であるニンゲンにとって『脅威』であるのは当然だとヤヤネヒは思うのですよ。でも、実は、ぶっちゃけ実在個人同士のリアルセックスがいちばん危険なわけじゃん。法的社会的に人権を遵守し、思いやってすら、傷つけあうこともある。性的虐待の加害者のほとんどは「ヨソ者」ではなく親密圏の人間や家族で、ほとんどの児童虐待は、現実には家庭、それも産みの親によって行われる。

理解しえない社会的弱者や、セクシャルマイノリティに対して――例えば、他の選択肢があったにしろ、なかったにしろドールや、そこに不随するフィクションに愛着欲求や性欲の充足を求める人々に対して――理解や共感の不在が一足飛びに恐怖感につながるのは仕方ないけれど、だからこそ、彼らを一足飛びに性犯罪者や逸脱者のように扱い、そして、彼らに向けてプロダクトを作る事業を現実の児童性的搾取人身売買に結びつけるような(!)言説には強く警戒すべきで、倫理性だとか、「人権」の線引きの議論は、ロジカルに、慎重に、何より今生きている人間の生を尊重し、共存することを考えたうえで行われなくてはならないと思います。

ところで、女性向けのラブドールというのもある。もう知ってる人は知ってる話だけど。

mess-y.com

こちらの記事、ライターさんが楽しそうで何よりだな、と思いました。実在の他者のようにドールを愛する人もいれば、「楽しみの幅が広がった」と捉える人もいる。初回記事で扱った通り、セックスドール・ラブドールは、今のところは「人の形をした媒介」なのだから、距離感は人それぞれでいいと思う。

『空気人形』をもういっかい見た

空気人形

空気人形

ところでペ・ドゥナさん主演の『空気人形』(美しいラブドールに心が芽生える、もちろんフィクションなのですが)、ふいに見返したくなって探していたらプライムビデオにあったので… 是枝監督作品だったのだなと今更気づいた。劇伴がWorld's End Girlfriendさんだったので視たんですけど。人形に芽生えた心は、人間と同じくエゴイスティックなものであった、というところが、すごく美しいなと思います。悪意を知って、愛した人に悪意を押し付け、傷つけてしまう。「無垢で自己犠牲的な聖者」でない点がほんとうにきれいです。

*1:ブログに書くって言ったし別に大丈夫な気がするけど、いちおう…ほら、こんぷらいあんす的なあれで…