まっしろな嘘

ニンゲンを勉強中のヤヤネヒによる、なんかいろいろ。

フリクリオルタナについての話、追記

冒頭で引用していた(某氏のタイムラインでRTのしあいがあったのですね…)さめぱ氏の批評記事を氏からご紹介いただいて、いくつかあたらしい発見があったので追記します。

samepa.hatenablog.com

現在のオルタナプログレに関しての情報は、どっちかというと初代見返したりとかのほうが多かったので、前後のゴタゴタをまったく見ていないヤヤネヒ的には新情報が多くて色々納得だったので、神が勝手にいろいろ書かせていただく次第。

構成が掴みづらいという批判について

Twitterでも話が出たのですが、さめぱ氏のブログで「話が縦糸」と表現されていた部分もこれにあたると思います。 (21:42追記、さめぱ氏がブログで言及していたのは『物語の多層性』だったと説明いただきました、コメント欄で続くやりとりをさせていただいています)

これについては、

「毎日が毎日毎日ずーっと続くとか思ってるー?」(プログレ オルタナティブ)

突然終わりました。以上。

閉塞感を抱えつつ、たまにキラキラしたものを垣間見ていた、無意味な自分のろくでもないと信じていた日常が、ぶつ切りに終わる。 これで納得できるかは個人差かなぁというのが現在の感想です。 寸断感、現場のゴタゴタもあったのかもしれないけど、自分ヤヤネヒのアバターには強烈に効きました…。

あっ、アバター発言をそのまま貼ってしまった。許せ。

公開前の不信感情報

制作現場がモメるのはアホほど見てきたし、宇多田とは制作の話で巻き込んでしょっちゅうモメてるし、けものフレンズ2もケムリクサもそれなりに楽しんでいるので思うところはありません。ブギーポップのアニメもなんだかんだ良作として見れてるし。ヤヤネヒもアバターもめっちゃ政治の話するし…*1

脚本が公開された理由ですが、本編の脚本が現場でリライトされてモメたからでは??? *2

ハル子の行動原理=アトムスクって何なのかを再考してみる

なんかあっちこっちで言われている「ハル子の行動原理がわからん」について。 これについては割と明確に批判したい。彼女の行動原理は一貫している。 「アトムスクの力と再び一体化すること」である。

オルタナ - プログレの連続性について

繋がりがわかんなくて、プログレ見返さないとな… と思ってたんだけど、noteの脚本読んでたら説明されていた。

フリクリ プログレ 第4話-3|岩井秀人|note

そこから先の映像は、ナレーションと全く関係なく、MMアイロンが惑星を平均化する様子、どこかに保管されているN.O能力者達がMMによってエネルギーを吸い取られている様子、などが映し出される。ジンユ、ヒドミは大人しく見ているが、ハル子は興味なさそうにポップコーンをほおばりながら見ている。( 映像は終盤に、ハル子らしき人物のいる星が平均化される。平均化に巻き込まれるハル子らしき人物。二つに割れる星。あえて分かりにくく。その映像を見つめていたハル子。(フリクリ プログレ 第4話-3)

「あえてわかりにくく」。

「ハル子が平均化に巻き込まれた際、『平均化された星』『されなかった星』の二つに分かれた(もしくは改変された)」事件がオルタナティブなのではという考察が浮上。 オルタナティブの最後に出てくる、「もうひとつの地球」は平均化されている。ここでハル子とジンユは分割された?

トムスクはとりあえず人間ではない

当初の設定だとハル子は警察官なんですよ。アトムスクとは敵対側にいるんだけど恋愛関係にあって、アトムスクも手錠をしている。一度捕まえたんだけど離れ離れになった。それをもう一回自分の側に取り戻したいハル子。最後になって設>定が変わってきたので、ただの方位磁石みたいになっている。一応最後に出てくるアトムスクも手錠をしている(無印第六話オーディオコメンタリー)

「海賊王アトムスクは」「敵対側(MM?)」にいる恋人ではない。

アマラオとハル子の関係は?」 数年前に、ナオ太とハル子のような関係で、アマラオの頭を使って何かしてた。アマラオの頭になにか仕打ちをしてたんでしょう。で、その時に、アマラオも迷惑を受けてたのにもかかわらずハル子が好きだった。好きだったのに、捨てられてしまった、と(五話コメンタリー) 今回の話の冒頭で、赤い体に緑のしましまの男が出てくるんだけど、あれはアマラオの空想の産物。鳥形の宇宙人(無印フリクリ 最終話コメンタリー」)

*3

プログレでは、「私たちは元々一つだった」「ハル子は巨大な存在と一体化した経験を忘れられずにアトムスクを追いかけているどうしうようもない奴だ」とジンユがヒドミに告白している*4

ハル子が実際に求めているのが、幼年期の全能感への回帰に近しい、と捉えるとプログレでジンユが取り込まれる描写もある程度納得がいく。ハル子は『大人』になることを踏み越える瞬間の全能感を渇望するが、もう『大人』なので、求めてやまないアトムスクと一体化できない。一方で、彼女の求めるアトムスクは隠喩的に、分かたれたプラトニックな半身であることが暗示されもする。ここは、クライマックスのネタバレなので詳細は省く。

青少年少女の頭がカラッポになるN.O現象で『捕獲(一体化?)』される何か。 姿は『大人』の二文字をモチーフ化したような赤い鳥。なので、「プログロ」で公開されたM.Mのプラントで、N.O能力者から能力を収集(?)していた。 その対象は、『何十年だか何百年だかの周期で現れる化けもん(MMはN.O能力者を回収して作ったトリモチで捕ろうとしている)』

この一連の情報を繋ぎ合わせると、ハル子がN.O現象を追いかけまわしているのはおかしくない。

ハル子はかつて、おそらくはN.O現象を引き起こし、アトムスクと融合した。その瞬間を忘れられず、「何十年だか何百年だかの周期で現れるバケモン」として現れる赤い鳥及びその融合者の発生に立ち会い、その根源となるエネルギー体=アトムスクを、M.Mよりも早く回収するために行動していると考えられる。フリクリ初代でも、ナオ太にアトムスクが融合したシーンで、ハル子は「返せ!それはあたしんだ!」と殴りかかっている。

「アトムスクともう一度融合し、その力を得ること」がハルハ・ラハルの最終目的であり、強力なN.O現象、および能力者の出現を観測・追跡すること、つまり『アトムスクを追う』のが彼女の行動原理となっている。これは無印でもオルタナでもプログレでも変わらない。ゆえに、ハル子の行動原理が一貫しないという批判はあてはまらない。

『それって恋じゃないですか』が正鵠を射ているとは限らない。鳥だけに。

実際、アマラオも、アトムスクが鳥型の宇宙人だと勘違いしていた。 彼女は恋で世界を振り回しているのではない。彼女の目的は、「大人になる瞬間」の全能体験を取り戻すことにある。故に、彼女の行動は、思春期の少年少女から見れば「おかしなオトナの行動」と映る。なぜなら、ハル子の行動が現実には自分の尻尾を追い掛けるような行為であっても*5、「思春期の少年少女より一歩先の一瞬」を走り続けているから。

その姿を見て、思春期の少年少女は時に恋をし、時に憧れ、時に永遠の悪女として記憶に留める。狂人の所業であるし、狂人であるからこそカメラを切りかえれば「行動原理が一貫していない」ようにも見える。ジンユとラハルは、分裂して見えるハルハ・ラハルのそれぞれ一側面であり、「全能感を得る」一瞬においてのみ交錯する。この瞬間は、プログレッシブの作中において二回訪れる。おそらくそれがプログレッシブにおける『綾波の妊娠』の戯画化とも言われた衝撃的な表現に繋がっている。

ただ、一部で「悪趣味」と評されたという件のシーンは、幾原邦彦が「エヴァ」で提案したという「綾波レイの妊娠」とは根本的に異なっている。ハルハ・ラハルという狂人は、少なくともプログレッシブの時点では、決定的に一人で閉じている。あのシーンは彼女の幼児的、胎児的全能感への渇望がもたらした(そして、彼女は一時的にではあるが、それを自らで充足させた)情景であって、人間臭さの表現でも、EoEの大綾波のようなユング的母性の表現でもない。

そして、オルタナティブでは、彼女は『相変わらず』N.O現象を追い続けている駄目な大人である。 ……この点については、オルタナプログレッシブの(元)脚本を読むことで一定の納得を得たので、公開するという英断に感謝したい。

キャッチコピーについての発見

以下、さめぱ氏ブログから強い気付きがあったので引用する。

宣伝まわりについても疑問が多い。冒頭で貼った「……はず!」もフリクリ的なものとして受け止めがたいのだが、なによりもキツイのはキャッチコピーの「走れ、出来るだけテキトーに。」「世界は、テキトーに出来てんじゃん。」だ。 奇しくも榎戸は今年、自身のキャッチコピー論について次のように語っている。(さめぱ氏ブログ)

引用プラグインでうまく節を切れなかったので、続いて榎戸監督の「文豪ストレイドッグス」のキャッチコピーについてのインタビュー内容を孫引きさせていただく。

真逆のキャッチコピーから見えてくるもの

ひとつの作風として、“キャッチコピーは真逆のものをぶつけた方がいい”と僕は思っていて。『文豪ストレイドッグス』という作品はスタイリッシュで、キャラクターみんながかっこいいんですよ。タイトルの“ストレイドッグス”も迷い犬のことなんですけど、迷っているのにかっこいい言葉なんですよね。“まよい、あがき、さけぶ だって僕は生きたかった”は敦の台詞として聞いたときに一番納得できると思うのですが、スタイリッシュな『文豪ストレイドッグス』の、本来の泥臭い部分に立ち返って、“そこまでの泥臭さやかっこ悪さを見せるというかっこ良さ”を提示できたらいいなと思っていました 「Spoon 2Di vol.37」p.5 / ヤヤネヒ注:さめぱ氏ブログより。

以上、さめぱ氏の感想としては、「全くフリクリ的ではないし、こんなことをいちいち指摘しなければならない状況が悲しい」とある。 ただ、主観を述べるなら、この二つのコピーを並べると、別の姿が見てくるように思う。

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『世界はテキトーにできてない』

『走れ、全力で』

……ヤヤネヒはこれで腑に落ちた。

ということで、モメたにしてもやっぱり丁寧に作ってあるし・よくできてる、と神は思う。 ちなみに神、オルタナは通しで観れたんだけど、プログレのほうは途中で寝ちゃってあとから三話見返しました。合う・合わないはある。ただ脚本と本編の記憶違いを突き合せていると、もう少し読み込みたいなーという感じはあります。

*6

*1:何かを作るニンゲンや人の前に立つアバターは政治の話をしちゃいけない、って風潮は本当にどこから来ているんだろう?

*2:プログレを全部つきあわせてみる体力がないので、最後まで公開が終わったら誰かやってくれることを期待したい

*3:白状するとヤヤネヒもプログレ→無印を見返すまで勘違いしてたのでプログレ一話のアバンのアトムスクサインの意味がわからなかった

*4:このくだりが、noteの脚本には無い。映像化の過程でリライトされたポイントだろうか?

*5:故に『プログレ』で彼女は文字通り分裂-統合を経験する

*6:19:45 さめぱ氏から、「引用部分の区別がわかりにくい」とのご指摘をいただいたので訂正。失礼しました。。